校長先生からのメッセージ(5月)

2020/05/01

校長室

 子どもたちも長い休学で、心も体も不健康な状態になっているのではないかと思います。このような状況になるとは誰が想像したことでしょう。長いトンネルの中に入り、出口が見えない中で、誰もが恐れと不安に駆り立てられています。
一日も早くこの状態が終わり、子どもたちが何の心配もなく、教室で顔と顔を合わせて授業を受け、校庭で思いっきり遊ぶことのできる学校生活を過ごすことができるようにと願うものです。

 さて、混乱の中にあって様々な美談を聞きますが、一つの実話をご紹介したいと思います。新型コロナウイルスの患者の対応にあたったイタリアのロンバルディア州の病院に勤務するジュリアン・アーバン医師の手記です。

「病院では医師たちの悪夢が起こりました。初めは数人の患者たちが来院、それから何十人、何百人の患者が押し寄せるようになり、医師たちは治療を施す立場から、誰を生かして誰を家に帰らせ(そのまま亡くなるに任せる)るかを、分類するだけの人になりました。これらの患者さんたちは、全員、その生涯かけて、イタリアでの健康保険料を払って来たにも関わらず。悪夢の流れは今も流れていて流れはどんどん大きくなっています。2週間前まで同僚と私は無神論でした。医師として普通のことでした。科学の領域に神の存在は必要ないと教えられて来たのですから。私自身教会に通う両親を笑っていました。

 9日前に75歳のひとりの牧師が入院しました。親切な方で、深刻な呼吸器の問題がありました。彼は聖書を持って来て、亡くなって行く人々の手を握り、その人たちに聖書を読んであげました。彼が聖書を読むのを聞いて、私たちの心が触れられました。我々医師たちはみな疲れ果て、絶望していました。精神的にも肉体的にも限界を超えていました。時間がある時、私たちも、彼が読む聖書の言葉に耳を傾けました。私たちはもう限界を超えています。自分たちにできることはもはやなく、人々は次々と死んでいき、同僚も二人が亡くなり、他のものも感染しています。

 ようやく我々は、神に助けを求めなければいけないということに気づきました。数分の時間を見つけられる時、私たちは、神の憐れみを求めて祈っています。互いに話して驚くことは、少し前まで全くの無神論だった自分たちが、今は日々主の平安を求め病気の人々を助けることができるように、医療行為を続ける力と助けを与えてくださいと主に祈っているのです。
昨日、あの75歳の牧師が召されました。3週間で120人の人々の死を見ましたが、この方の死には打ちのめされました。この方は、ご自分の大変な身体状況にも関わらず、周囲の大変な状況にも関わらず、希望を失っていた私たちに平安をもたらしてくれました。」

 どんな状況の中にあっても、神様が働かれているということを感じる出来事ではないでしょうか。

 今、新型コロナウイルスの感染に関連して、第二、第三の感染が広がりつつあるといわれています(日本赤十字社HP参照)。不安や恐れなどの心理的感染症、偏見や差別などの社会的感染症だということです。
不安の中にある子どもたちをサポートし、偏見や差別について啓蒙していかなければならないと感じています。

 諏訪赤十字病院の臨床心理士である森光玲雄先生は次のように言います。
「正しく恐れるのは難しいものですが、過度に恐れすぎると気づかぬうちに犯人探しや攻撃に加担していることもあるかもしれません。まずはご自分と家族の感染予防を徹底しつつ深呼吸! こんなときだからこそ身近な人と支え合うことから始めてみませんか。」
聖書には次のような言葉があります。

 「隣人を自分のように愛しなさい。」マタイによる福音書 22章39節

 このような時だからこそ、この言葉を心に留めて行動できたらと思います。もう少し、自宅で過ごすことになりますが、ご家族皆様の健康が支えられ、過ごされますようお祈りいたしております。

<学校通信 2020年度 第2号より>

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