「校長室」カテゴリーアーカイブ

校長先生からのメッセージ(9月)

2022/10/05

校長室

「読書の秋」

秋は「○○の秋」と言われるように、いろいろなことを楽しみやすい季節です。食欲の秋・スポーツの秋といろいろありますが、昔からよく言われているのが「読書の秋」です。確かに気候的にも過ごしやすくなり、夜も長くなる秋は読書には絶好の季節です。

10月27日は読書の日です。そして、その日から2週間は読書週間となり、読書を推進する行事が出版業界や図書館によって集中して行われる期間です。

1924年に日本図書館協会が、図書週間を制定していました。しかし戦争の影響で、一旦廃止されました。終戦後1947年、出版社・取次会社・マスコミなどが共同参加した「読書週間実行委員会」が改めて読書週間を制定し、現在に続いています。

1947年の再制定の目的は「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」でした。当時は終戦から間もない時期であるため、「平和な文化国家」がキーワードになったのでしょう。アメリカでは、11月16日から1週間、「チルドレンズ・ブック・ウィーク」という運動があり、戦後それを参考にしたともいわれています。いずれにしても、読書の日や読書週間は子どもたちに本に親しんでもらうことを目的として制定されたのです。

本校の図書室では、平和コーナーが設けられており、以前からあった蔵書や、新しく購入した平和に関する本が陳列されています。平和コーナーから自由に手に取ってその場で読んだり、持ち帰って読むために貸し出されたりしています。

このコーナーを通して児童が、本校の校訓を実践したり身近に考えたりするきっかけにもなってほしいと願っています。また、報道されているウクライナでのロシアによる軍事侵攻の終結が見通せない状況を毎日見せられている中、児童が、現在そして将来にわたり「平和を実現する人」(マタイによる福音書5章9節)になってほしい、という願いも込められています。

今は読書の仕方が多種多様になりました。紙の本を読むことだけでなく、タブレットやスマートフォンの普及でデジタル書籍を読むといった環境も整っています。新しいメディアが生まれ広まる時には、それが読書離れ、活字離れの原因と揶揄されます。確かにそういった面もあるかもしれませんが、形や種類が変化してもどの時代にも常に本はあり、図書室はあります。タブレットやスマートフォンで動画やゲームを楽しむだけでなく、様々な良書といわれるもの、子どもたちに触れてほしい本などを検索するのも、読書への関心につながることもあるかもしれません。読書の機会、活字に触れる機会をどれだけ確保するのか。これが親や大人たちに求められている課題です。

「読書は脳の栄養の素」といった記事を読んだことがあります。「読書は脳神経のつながりを強化し、加齢による認知力の低下を防ぎ、ストレスレベルを低下させ、長生きにつながることもある。」

親も大人も、自ら読む楽しさを味わい、読む楽しさを子どもたちに見せていきたいものです。以前に読んだ本でも、漫画でもいいから、読書週間に読んでみてはいかがでしょうか?

「あなたの御言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び躍りました。」エレミヤ書15章16節

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。

校長 小原義信

 

校長先生からのメッセージ(8月)

2022/08/26

校長室

 「アスリートの力の源」

長いと思っていた夏休みも「あっ」という間に終わり、授業が再開しました。

子どもたちは夏休みの経験や学び、感動、思い出をたくさん抱えて学校に来たことでしょう。それらはきっと今後の生活に生かされるに違いありません。

私にとって、スポーツ観戦は、夏休み中の楽しみの一つでした。特に、今年も高校野球の中継から目が離せず、テレビの前でこぶしを上げ、大きな歓声を上げ楽しみました。これも3年ぶりの感動でした。どんな試合であっても、全力でぶつかり合い相手と向き合う姿、汗を流し記録に挑み集中する姿、勝負が終われば絶叫、満面の笑み、涙など、選手たちの姿はほんとうに美しかったです。そして、選手たちの流す涙、また応援団の流す涙にこちらももらい泣きしました。優勝した仙台育英の監督インタビューに感動した方も多くいたのではないでしょうか。

沢山の感動の影には、どれほどの努力や我慢、あるいは体にも心にも負ったであろう痛みがあったことでしょう。特にコロナ禍での苦悩は、観る側からは想像でしかわかりません。選手たちの苦悩や努力や忍耐は、勝利することや、達成感を味わうこと、あるいは記録の更新などによって報われ、更にポテンシャルを上げていったことでしょう。周囲に支えられ応援され、認められているという有要感も、動機付けの一つとなっています。高校野球の各校の特徴のある応援やブラスバンドによる応援合戦も選手を鼓舞し、チャンスを作り、得点につながった場面をいくつも観ました。応援が選手たちの力になっているのを実際に感じることができました。スタンドとグランドが一体となっている様子にも感動を覚えます。勝利者インタビューに、必ず周囲への感謝、家族への感謝が語られるのも、彼らの自然な姿です。

スポーツ科学の分野で、トップアスリート数名を抽出し彼らがどのような環境や家庭や成育歴の中で、一流のアスリートへと成長していったかを、本人や家族のインタビューも交えて研究したレポートを見たことがあります。

その中の一人に、プロゴルファー宮里藍さん(2017引退)が挙げられていました。彼女はおじいちゃん子で、祖父母から愛情をいっぱいかけられて育ちました。勿論両親からも愛情を受け、思いやりとやさしさに包まれて育ちました。家族にはいつも会話があり団欒がありました。自分が認められ愛されていることを実感したとき潜在的な力も発揮された、と本人も言っています。「家族の団欒」として始めたスポーツが、おじいちゃんや両親、兄弟姉妹とのコミュニケーションを生み、そこから更に技能と意欲を育てていったのでした。参考「トップアスリートにおける両親の教育方針」(2012)

私たちの身近な子どもたちにも、忍耐力や努力の尊さ、達成感を味わってもらいたいものです。自分がどれほど認められ価値ある存在であるかということに気づいたときに、学習や与えられた課題をやりぬこうとする意欲や人のために役立ちたいという奉仕の心も、大きく膨らんでいくのではないでしょうか。子どもたちに、愛されている存在、価値ある存在であることをもっともっと伝えていきたいと思います。

「主が言われた、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。』」聖書 コリント人への手紙二 12章9節

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

校長 小原義信

   

    

校長先生からのメッセージ(7月)

2022/07/29

校長室

「限られた時間を活かす」

 いよいよ夏休みとなります。これまで児童は様々な学習や学校生活、行事を通して成長してきました。夏休みに子どもたちがずっと家庭で過ごすというのは、ご負担が多いこともあるかもしれませんが、学校では学べない様々な体験や学習を通して、また大きく成長できる限られた期間、限られた時間となるのではないかと思います。

 時間というのは神様からすべての人に平等に与えられたものです。この世界が神さまによって創造された様子が聖書に書かれていますが、自然界の事物がつくられるたびに「夕べがあり、朝があった。」と一日(24時間)の時間の周期を述べています。

私たち人類にとって、そして世界のすべてに平等に与えられた時間を、使い方一つで豊かに、また、幸せにすることができるのです。

 時間の使い方について、コミュニケーション力に関する著書をたくさん書いておられる齋藤孝さん(教育学者・明治大学教授)は次のように言っています。

「私が時間の使い方で大切にしていることは、「非生産的」なことに時間を使わないということである。「非生産的」とは、ぐずぐずしている時間やぼんやりしている時間のことではない。私の言う「非生産的」というのは、嫉妬、後悔、過剰な先読み思考による不安など、負の感情を持つことである。人をねたんだり、自己否定をしたり、後悔してばかりいることに時間を費やすことは、「非生産的」だと考えている。こうした感情にとらわれているといくら時間があっても足りることはない。人の悪口で仲間同士もり上がる、人の悪口をSNSやメールなどネット上で送りあう、そうしたことを見聞きする・・・、すべて「非生産的」な時間である。」

では、「生産的」な時間とは何かというと、こちらも限りなくあることでしょう。齋藤氏の言っていることを反対に見て一つ言えることは、人に喜びを与え、感謝され、それらを生きがいにすることは「生産的」な時間の使い方といえるのではないでしょうか。

三育小・中・高を卒業し現在は医療機関で働いている教え子に会った時、次のようなことを話してくれました。まさに「生産的」な青春時代を過ごしたと感じる話でした。

「三育(特に寮生活)で一番学べたことは、『時間の使い方』だと思います。勉強はもちろん、食事、礼拝、掃除、洗濯、部屋片付け、いくつもの奉仕活動、何から何まで自分でしなければいけない。何でこんなことまでやらないといけないのと思ったこともある。大変な分、自分を見つめることができた。互いに協力し助け合うと「ありがとう」という言葉が返ってきた。すると、やる気が増して嬉しくなる。私も人に「ありがとう」と言われたい。そう思うだけで与えられた時間を精一杯活かし学校生活をがんばれた。」

 どうか夏休みも、限られた期間、限られた時間を大切にして、そして家族同士で「生産的」な時間を過ごされますように。ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。

校長 小原 義信

校長先生からのメッセージ(6月)

2022/06/27

校長室

「讃美歌が聞こえる学校」

歌は、目に見えにくいものですが、人間にとっては心の深い部分に無意識に影響を与えるものです。子どものころに歌った歌は、大人になってもほとんど覚えており、学校で習った曲だけでなく、子どものころ聴いたり歌ったりしたドラマ、アニメなどの主題歌や歌謡曲、CMソングは、今も曲が流れればつい歌ってしまうこともあるでしょう。

音楽は、人類歴史において、文化や思想、知識を広めるのに有効に用いられてきました。学校制度が本格的に始まった明治維新後の日本の教育においても唱歌が盛んに用いられました。特に、言語活動や言語による理解が十分でない幼少期は、歌を用いて聴覚によって行われる活動が、読み・書きなどの視覚による教育活動以上に効果があり、現在も幼児教育からはじまって、教育全般にわたり歌は大事な役割を果たしています。

明治、大正時代の唱歌は、西洋から入ってきた讃美歌を替え歌にしたものが多くあったと言われています。曲は讃美歌、歌詞は儒教の教えによる道徳教育が唱歌になったものがいくつかあります。近代国家を急いで築くために、国民への教育が重視されました。公教育も私立学校も、海外からの文化や様式をとりいれ、替え歌としての讃美歌が用いられたり、讃美歌をそのまま歌うキリスト教の学校があったりと、讃美歌も教育に影響していました。

三育のどの学校においても創立以来、讃美歌が盛んに歌われてきました。礼拝や宗教プログラムに限らず、朝の会や帰りの会にも讃美歌を歌い、お昼のお弁当の前にも讃美歌を歌っていた時もあります。チャペルや音楽教室だけでなく、毎日いろいろなところから讃美歌が聞こえてきたのが三育小学校です。

コロナ禍になり、それらは一変し、この2年間全く子どもたちの歌声が聞こえなくなってしまいました。様々な活動が制限されたり、中止したりするなか、学校から讃美歌が聞こえなくなったことは、寂しいだけでなく、歌えないということが子どもの情緒や発達においても様々な影響があったのではないかと言われています。自分自身も、歌えない、歌わない、ことによる心の変化を自覚しています。

歌は、人にとってリラックス効果もありエネルギーを高め、人に生きる活力を与えてくれると、多くの音楽家が自らの活動を通して伝えてきました。人の精神と肉体は一体ですので、歌うことは自己の心身のセラピーにもなっていくということです。

そして、讃美歌を歌うということは、音楽活動にとどまらず、目には見えない人の深い部分に無意識に影響をあたえるものです。(宗教的には霊的なものといいます)

讃美歌を歌うことは祈ることと同じです。讃美歌を歌うことは聖書の言葉を全身で感じ、伝えることと同じです。

5月の後半頃から、学校では礼拝で讃美歌を歌うようになりました。そして、先週の祈祷週では学年ごとの特別讃美歌があり、集会前、全児童の讃美の時間がありました。学校に三育の本来の姿が戻りつつあります。まだしばらくはマスクをしたままの讃美ですが、あちらこちらから聞こえてくる歌声が、聞く者に心地よさを与えます。また、歌う者は活気にあふれています。

「キリストの言葉が、あなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして教え合い、諭し合い、詩と賛歌と霊の歌により、感謝して神に向かって心から歌いなさい。」(聖書協会共同訳 コロサイの信徒への手紙3章16節)

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

校長 小原 義信

校長先生からのメッセージ(5月)

2022/05/27

校長室

「恵みの雨」と「命の水」

 今年度の運動会は、ちょうどいい天候(くもり)に恵まれ、開催することができました。保護者の皆様には、開催のための様々な感染予防の対応にご協力いただき、また、練習してきたことを一生懸命発揮し活躍する児童の姿を応援してくださり、ありがとうございました。

運動会当日の前後は、時折強い雨が降ったり、風や雷もあったりと、安定しない日が続いていました。晴れれば気温も上がり熱中症予防のために水分補給が必要です。これから梅雨の季節にもなりれば、天候不順や気温・気圧の高低差など、体にとってはうっとうしく、子どもの健康にも影響してくるかもしれません。

雨は地を潤し作物の生育のために不可欠です。人間にとっても水は、生きていくために空気に次いで最も重要なものです。これから更に気温が上がれば水分補給がますます必要になります。また、適度な水分補給は、自律神経の働きを整え体内環境を維持する事にも効果的です。入浴や温かいシャワーを浴びることは、血のめぐりを良くし、高い湿度のせいで体内に溜まった汗や老廃物を排出してくれます。

水分補給や入浴も「恵みの雨」によってもたらされた水の効果です。

水以外にも私たちの身の回りには求める前から与えられたり備えられていたり、気付かないうちに沢山の「恵みの雨」が降り注いでいるのです。

聖書の記録には水に関する言葉や物語が多く書かれています。

ある時、イエスキリストは、井戸に水を汲みに来た女性と出会いました。その女性に「水を飲ませてください」と頼みました。その後に続く会話の中で、イエスキリストが与える水は「決して渇くことがなく人の内で泉となって湧き出る」と女性に対して言われました。

人間の体には、水分が子どもで70%、大人で60%ぐらいあると言われています。その内たった数%不足しただけで喉が渇くだけでなく、場合によっては体調不良や脱水症状に至ってしまいます。

イエスキリストが与える水、「命の水」、心の泉と言ってもいいかもしれません。それが渇くと心の脱水症状になるのです。すなわち困難、混乱、痛み、不安の状況から抜け出せなくなってしまう状況に陥ってしまうかもしれません。聖書は、物語の女性が、まさに痛みや困難という暗く深い井戸に落ちてしまった姿を表しているようです。イエスキリストの存在を知った女性は救われ、「命の水」を飲むことができました。それは、自分が愛されている存在であること、生きる意味や価値のある存在であることに気付いたということです。そして、永遠に渇くことのない「命の水」すなわち平安、喜び、赦し、希望で満たされたのです。

三育小学校で聖書を学ぶということは、言いかえれば「恵みの雨」に気付き、「命の水」を飲むことだと言えるのではないかと思っています。

「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。」詩編42: 2

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。

校長 小原 義信

 

校長先生からのメッセージ(4月)

2022/04/29

校長室

運動会テーマ『ゴールの先の笑顔を信じて頑張ろう』

 運動会は、地域によって違いますが、一学期5月頃から順に行われるようになってきました。以前は、1964年10月に開催された東京オリンピックを機に、秋の運動会が主流でした。それが、学校のスケジュールの事情や気候的な理由から、春へ移行された学校が増えてきました。

大人になって皆さんも、自分が子ども時代の運動会をなんとなく懐かしく感じるのではないでしょうか。今は、自分の子どもの運動会に、親のほうが張り切ってしまうことも珍しくありませんね。

今年も横浜三育小学校では新学期の授業がはじまってから、運動会の練習も同時進行しています。運動場から聞こえてくる鼓笛の演奏の音や和太鼓の音、ダンスのためのリズミカルなBGM、競技のスタート合図の笛や掛け声、「タッタッタッタッ」という足が地面をたたく音など、聞いている方もワクワクしてきます。時には日差しの強い時間の練習もありますが、暑い中、本当によく頑張っています。

 今年も、新型コロナ感染予防のために、児童、保護者、教職員のみで運動会を行います。いつも教会の皆様や近隣の皆様に応援していただいていましたが、ご招待できず残念です。

運動会は文字通り体を使って個人やチームと競ったり、演奏や演技をしたり、仲間と協力してゴールを目指すといったものです。しかし時代と共に様変わりしてきました。

運動会の歴史は古くは明治時代にさかのぼります。海軍兵学校で開催されたのが、日本初の運動会と言われています。

その当時の海軍兵学校は、イギリス海軍式教育を導入しており、海戦や陸戦をまねた種目も行われるなど、当時の運動会は戦争や国の政策が大きく影響していました。日本が軍国主義や戦時下になると、運動会は、優秀な兵士を育てることが目的で行われていました。

現在の運動会は、体力向上と協力(協調性)を重点として開催されることがほとんどです。学校教育の中の大きな行事の一つである運動会は、戦闘訓練だった時代の流れとは違い、共にチームワークを築き合い、あるいは親睦を深め合う行事となっていきました。

今年度の本校の運動会テーマは「ゴールの先の笑顔を信じて頑張ろう」です。ゴールテープを切る喜びもあるでしょう。順位がどうであれ、頑張ったという達成感の「ゴール」もあるでしょう。演奏やダンスをやり切ったという喜びの「ゴール」もあるでしょう。また、応援している人たちが、どの競技でもどの演奏・演技でも、「ゴール」した子どもたちを見てその頑張りを喜ぶ笑顔もあるでしょう。

運動会前からその様子が想像できるテーマが選ばれたことを、私自身も嬉しく笑顔になります。

運動会で一位を取ったり、成功したり、うまくいったら、我が子はもちろん、お友達にも笑顔で褒めてあげると思います。一位じゃなかったとしても、うまくいかないことがあっても、「頑張ったね」「思い出がたくさんできてよかったね」と笑顔で励ましてあげてください。

「見よ、兄弟が和合して共におるのは、いかに麗しく楽しいことであろう。」

(口語訳聖書・詩篇133篇1節)

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

校長 小原義信

 

校長先生からのメッセージ(4月7日)

2022/04/12

校長室

「新年度へのチャレンジ」

4月に入り、学校の周辺の桜が満開となり、今週は、花びらが美しくひらひらと散っていく様子に変わっています。この時期にしか味わうことができない景色を楽しんでおりました。また、その様子は、進級する児童、そして新入生を祝い歓迎しているようにも感じ、いつしか登校してくる児童を想像しながら学校の玄関前から桜を眺めているときもありました。

春休みはいかがお過ごしでしたでしょうか。コロナの感染がいまだに収まらない状況ですので、様々な気遣いもあった春休みであったかと思います。

さて、皆様にはいつも三育小学校の教育活動にご理解とご支援をいただき、ありがとうございます。皆様のご協力と神様のお導きのうちに、本日新年度をスタートすることができましたことを重ねて感謝いたします。

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。保護者をはじめご家族の皆様方にも心からお祝い申し上げます。また、在校生の皆さんもそれぞれ一つ上の学年に進級し、新たな気持ちを持って新学期を迎えたことでしょう。三育小学校の児童一人ひとりが、今年度もそれぞれの可能性に向かって力強くチャレンジし、様々な学習活動を通して心身ともに調和のとれた発達を成し遂げていくことを期待しております。

ずっと前のことですが、東京に住んでいた頃にこんな場面を見ることがありました。

混んでいる地下鉄で、ある男性客が座れずに立っていると、一人の老婦人が乗り込んでくる姿に気がつきました。弱々しく立っている姿を気の毒に思ったのですが、譲る席はありませんでした。しかし、この老婦人の近くの座席に一人の少年が座っているのが見えました。少年は、まだ老婦人には気づいていません。しばらくして立っている男性と少年の目が合いました。そのとき、即座に男性は少年にニッコリとほほ笑みかけ、老婦人と少年を交互に小さく指をさし、指先をくるくる回しました。すると、少年は何のサインかすぐに気づきサッと立ちあがり照れくさそうに席を譲りました。男性、老婦人、少年の顔には笑顔がありました。こんな小さなサインに反応したことが、三つの大きな喜びにつながったのです。

三育小学校が、このような小さなサインに反応できるような少年少女で溢れる学校であるようにと願っています。

今年度も本校の校訓のもと、「イエス様のように・What Would Jesus Do?」という目標で教育活動を進めてまいりたいと思っています。

私たち一人ひとりは神様に愛されている存在です。神様によって愛され生かされている自分自身に気づくことで、周りを愛することもできるのです。小さなサインに気づくとは、愛する行為を実践できる姿ではないでしょうか。このことを教師も児童も聖書の教えを通して自覚しながら、教育活動に取り組んでいきたいと思います。

新入生にとっても、在校生にとっても新年度が素晴らしい一年となりますようにと願っています。ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。

校長 小原 義信

校長先生からのメッセージ(卒業生への言葉)

2022/03/23

卒業生

6年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

威風堂々で入場してくる皆さんの姿を見ながら、6年前、どんな姿で、どんな背丈で、どんな顔で、その当時の6年生に導かれながら入場してきたのかと想像していました。違う小学校で入学した人もその学校の大きな講堂に入場したかと思います。その時のことは覚えていますか?

114㎝、これは皆さんの入学当時1年生のときの平均身長です。ちょうど私のお腹くらいの高さです。今はどうでしょう。平均身長144㎝。既に150㎝を超えている人もいますね。30㎝の成長です。もちろん背丈だけでなく心も成長しました。知的にも精神的にも成長しました。

私は、皆さんとは一年間だけの関わりでしたが、この一年間でも変化している姿、成長していく姿、6年生らしい姿を横から見ていました。とても頼もしく思っていました。

 今日を最後に皆さんの姿を見ることができなくなることはとても寂しいことです。私にとっては、たった一年でもそんな気持ちになるのですから、皆さんは6年間過ごした学校、一緒に過ごしてきた先生方やお友だちとお別れすることは、本当に寂しいのではないかと思います。でも、皆さんは新しい一歩を踏み出さなければなりません。新しいステージに立たなければなりません。

世界の状況が日に日に変わっている時代に私たちは生きています。ウクライナの状況も、報道を見るたびに心が痛みます。世界の平和をどのように実現していくか、皆さんが一歩踏み出したあと、それが大きなテーマであり、あるいは一生をかけての宿題なのかもしれません。

平和を実現するためには、神様が私たちを愛してくださっていることをいつも確認していくことです。それは皆さん一人一人が三育で学んできたことです。卒業祈祷週の話の中にも、それが表れていましたね。

皆さんが選んだモットーの聖句も、正にそのことです。神様に重んじられている自分自身を大切にし、身近な人を思いやり、愛し合うこと。私たちの身近な平和が、世界の平和につながっていくはずです。あなたのいる場所で平和を実現し、平和を築いていってください。

「私から学んだこと、受けたこと、私について聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなた方と共におられます。」フィリピの信徒への手紙4章9節

この聖書の言葉を私から皆さんに花向けの言葉として贈ります。

 保護者の皆さま、お子様のご卒業おめでとうございます。また、6年間の長きに渡り、三育小学校をお支え下さり、学校の教育活動にご理解とご協力をいただきましたことを心より感謝いたします。皆様と一緒に大切なお子様の成長を喜び確認しあうことができましたことを嬉しく思っております。皆様にお会いできなくなることも寂しいですが、是非これからも時には学校へ足をお運びください。歓迎いたします。

 教室で静かにテレビ画面を視聴しながら卒業式に参加している在校生の皆さん。一緒に参加して一緒にお祝いしてくれてありがとう。大好きな、大切な6年生が卒業していくのはさびしいですね。でも、6年生から受けたこと、優しくしてもらったこと、素晴らしい伝統、6年生の姿を、在校生の皆さんがしっかり受け継いで、4月から新しい学校を築いていきましょう。

 今日までこの6年生、この卒業生と関わってくださり、お支え下さった全ての皆さまに感謝いたします。そして今日まで守り導いてくださった神様に感謝します。

皆様のご健康とご多幸、祝福をお祈りし、また世界の平和をお祈りし、卒業生への言葉といたします。

2022年3月13日

横浜三育小学校校長 小原義信

 

校長先生からのメッセージ(2月)

2022/01/31

校長室

『改めて「ありがとう」の効力』

iPS細胞の研究開発でノーベル賞を受賞された山中伸弥さんと、脳科学者で小児科医の成田奈緒子さんが対談している内容の本『子育てを語る』を手にしました。お二人は同じ大学の医学部で同級生として学び、研究室も同じだったとか。現在、それぞれ別々の医学の道で第一人者としてご活躍です。

本の中に「親に本音を言えない子どもが山のようにいる」という一節がありました。確かにそうだったかなと、自分の子ども時代や、我が子の小学生時代を振り返ると思い当たることもあります。

親に喜ばれたい、というのは子どもの本能です。自分の居場所を確保しておきたいという安心感を無意識に求めるのも子どもです。そして、その安心する居場所を失いたくないと思うのです。時には背伸びをしたり、いい格好をしたり、あるいは噓をついてでも、喜ばれるため、居場所や安心を確保するため、子どもは動きます。

やっぱり子どもがいちばん認めてほしいのは、親なのです。皮肉にもそれが「親に本音を言えない」ことになっているのではないかと成田奈緒子さんは述べています。

以前勤めていた学校で、児童(仮称AさんBさん)のトラブルに出くわしたことがありました。AさんはBさんがやっていることや持っている力をうらやましく思い、BさんはAさんから嫌われているのではないかと思っていました。その裏返しにお互い過激な言葉や強い口調が出てしまったり、相手についての情報やうわさを誇張する発信源になったりしていたのです。どちらも相手よりも弱いと思っているから、あるいは相手に対して劣等感を持っているからだったのでしょうか。本当は遊びたい、一緒にいたいという本音を心の奥にしまい込んでいるように見えました。その気持ちは後から気づくことになるのですが。

いろいろなやり取りがしばらく続き、あることがきっかけで二人はお互いに気づいたことがありました。AさんはBさんを尊敬しているということ、BさんがAさんに嫌われたくないということは、本当は好きなのかも、と。 それから二人は仲良しという言葉以上に信頼し合い、彼女たちの周囲にもそれが伝わり、いい雰囲気となっていきました。

あることがきっかけとは、「ありがとう」の言葉でした。作業のあとの片付けをしたときの何気ない「ありがとう」が、しまい込んでいた本音を呼び覚まし、お互いの尊敬や好感へつながっていったのだと思います。

前出の成田奈緒子さんは「ありがとうがよく聞かれるコミュニティは、自己肯定感が高い人が多い。」「ありがとうは、自分の存在価値を確認している。自己承認を得ている。」と述べています。

「ありがとう」は魔法の言葉とよく言われます。もう一度当たり前に使っている「ありがとう」の効力をためしてみましょう。「親に本音を言える子どもが山のようになる」のではないでしょうか。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 テサロニケの信徒への手紙一 5章 16~18節

ご家庭の上に神様の祝福が豊か在りますようにお祈りいたします。

校長 小原義信

   

    

校長先生からのメッセージ(1月)

2022/01/11

校長室

天につかえ、天に宝を積む

 新年明けましておめでとうございます。皆様はどのようなお正月を迎えましたでしょうか。皆様にとって幸せな一年となりますようお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願いいたします。寒さはまだ続きます。どうかご自愛ください。

 年末年始、世界中の新型コロナ感染状況や、事件・事故、政治や経済の不安定さ、混沌とした状況などのニュースが相も変わらず流れていました。

 昨年、NHK大河ドラマ「青天を衝け」をご覧になった方もおられるかと思います。新一万円札の図柄に渋澤栄一が選ばれたということもあって話題となりました。大河ファンの私もドラマを楽しんだ一人です。幕末から明治へ、時代の混乱と大渦に翻弄された世の中にあって多くの歴史に残る志士たちは、新しい時代を拓くために熱く活躍しました。志士たちは様々な学問を通して、あるいは彼ら自身が尊敬する偉人たちを通して影響を受け、それらを実現すべく厳しい現状を切り開き、当時からは遠い将来(現代)にも影響するような数々の文明や文化を築いていきました。

 渋澤栄一は、ドラマにも登場する儒学者や論語にも影響を受けました。後に論語に関する書物をたくさん執筆しています。そこには経済や政治、文化的な背景に、道徳的な思想も多く含まれています。

 江戸時代に佐藤一斎という儒学者がおり、人が人間らしく生きるために考え付いたことを「言志四録」という書物にまとめました。佐藤一斎の弟子として教えを受け継ぎ、後に明治維新において日本を動かした志士たちにこの教えを説いたのが佐久間象山という思想家です。象山の塾(学校)で吉田松陰や勝海舟、坂本竜馬などが学び、西郷隆盛も影響を受け、渋澤栄一の手元には「言志四録」がいつもあったという説もあります。

「言志四録」の一節です。

「凡そ事を作すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし」(およそことをなすには、すべからくてんにつかうるのこころあるをようすべし)

 旧約聖書の中に「預言者の学校」というものが出てきます。預言者は神の知恵を求めます。神につながり神の知恵を持っている者は、どんなに危機的な状態、不安な状態であっても、揺らぐことなくぶれることなく毅然として立ち進んでいきます。聖書の預言者たちは、繁栄のときや裕福なとき、あるいは平穏で安心なときには、これでよいのかと常に警鐘を鳴らしていきます。イエス・キリストは、弟子たちに大切な言葉をたくさん残しました。弟子たちはそれらを聖書に残しました。それは、今を生きる私たちにとって励みであり、救いであり、必要な言葉です。

 明治維新の志士たちの多くは聖書にも精通していました。外国に視察に行ったり留学したりする中で西欧文化や思想にもつながる聖書に出会うことがありました。道徳的な思想も多く含む「言志四録」や儒学を学んできた彼らにとって、人の生きる道を示した聖書の教えを受け入れるのは、それほど難しいことではなかったと想像できます。

 聖書にも次のような言葉があります。

「天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。」マタイ6章20,21節

三育で学んだ一人一人が、天につかえ、天に宝を積み、天を受け継ぐ者となっていってほしいと願っています。

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

校長 小原義信