「校長室」カテゴリーアーカイブ

校長先生からのメッセージ(5月)

2022/05/27

校長室

「恵みの雨」と「命の水」

 今年度の運動会は、ちょうどいい天候(くもり)に恵まれ、開催することができました。保護者の皆様には、開催のための様々な感染予防の対応にご協力いただき、また、練習してきたことを一生懸命発揮し活躍する児童の姿を応援してくださり、ありがとうございました。

運動会当日の前後は、時折強い雨が降ったり、風や雷もあったりと、安定しない日が続いていました。晴れれば気温も上がり熱中症予防のために水分補給が必要です。これから梅雨の季節にもなりれば、天候不順や気温・気圧の高低差など、体にとってはうっとうしく、子どもの健康にも影響してくるかもしれません。

雨は地を潤し作物の生育のために不可欠です。人間にとっても水は、生きていくために空気に次いで最も重要なものです。これから更に気温が上がれば水分補給がますます必要になります。また、適度な水分補給は、自律神経の働きを整え体内環境を維持する事にも効果的です。入浴や温かいシャワーを浴びることは、血のめぐりを良くし、高い湿度のせいで体内に溜まった汗や老廃物を排出してくれます。

水分補給や入浴も「恵みの雨」によってもたらされた水の効果です。

水以外にも私たちの身の回りには求める前から与えられたり備えられていたり、気付かないうちに沢山の「恵みの雨」が降り注いでいるのです。

聖書の記録には水に関する言葉や物語が多く書かれています。

ある時、イエスキリストは、井戸に水を汲みに来た女性と出会いました。その女性に「水を飲ませてください」と頼みました。その後に続く会話の中で、イエスキリストが与える水は「決して渇くことがなく人の内で泉となって湧き出る」と女性に対して言われました。

人間の体には、水分が子どもで70%、大人で60%ぐらいあると言われています。その内たった数%不足しただけで喉が渇くだけでなく、場合によっては体調不良や脱水症状に至ってしまいます。

イエスキリストが与える水、「命の水」、心の泉と言ってもいいかもしれません。それが渇くと心の脱水症状になるのです。すなわち困難、混乱、痛み、不安の状況から抜け出せなくなってしまう状況に陥ってしまうかもしれません。聖書は、物語の女性が、まさに痛みや困難という暗く深い井戸に落ちてしまった姿を表しているようです。イエスキリストの存在を知った女性は救われ、「命の水」を飲むことができました。それは、自分が愛されている存在であること、生きる意味や価値のある存在であることに気付いたということです。そして、永遠に渇くことのない「命の水」すなわち平安、喜び、赦し、希望で満たされたのです。

三育小学校で聖書を学ぶということは、言いかえれば「恵みの雨」に気付き、「命の水」を飲むことだと言えるのではないかと思っています。

「涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。」詩編42: 2

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。

校長 小原 義信

 

校長先生からのメッセージ(4月)

2022/04/29

校長室

運動会テーマ『ゴールの先の笑顔を信じて頑張ろう』

 運動会は、地域によって違いますが、一学期5月頃から順に行われるようになってきました。以前は、1964年10月に開催された東京オリンピックを機に、秋の運動会が主流でした。それが、学校のスケジュールの事情や気候的な理由から、春へ移行された学校が増えてきました。

大人になって皆さんも、自分が子ども時代の運動会をなんとなく懐かしく感じるのではないでしょうか。今は、自分の子どもの運動会に、親のほうが張り切ってしまうことも珍しくありませんね。

今年も横浜三育小学校では新学期の授業がはじまってから、運動会の練習も同時進行しています。運動場から聞こえてくる鼓笛の演奏の音や和太鼓の音、ダンスのためのリズミカルなBGM、競技のスタート合図の笛や掛け声、「タッタッタッタッ」という足が地面をたたく音など、聞いている方もワクワクしてきます。時には日差しの強い時間の練習もありますが、暑い中、本当によく頑張っています。

 今年も、新型コロナ感染予防のために、児童、保護者、教職員のみで運動会を行います。いつも教会の皆様や近隣の皆様に応援していただいていましたが、ご招待できず残念です。

運動会は文字通り体を使って個人やチームと競ったり、演奏や演技をしたり、仲間と協力してゴールを目指すといったものです。しかし時代と共に様変わりしてきました。

運動会の歴史は古くは明治時代にさかのぼります。海軍兵学校で開催されたのが、日本初の運動会と言われています。

その当時の海軍兵学校は、イギリス海軍式教育を導入しており、海戦や陸戦をまねた種目も行われるなど、当時の運動会は戦争や国の政策が大きく影響していました。日本が軍国主義や戦時下になると、運動会は、優秀な兵士を育てることが目的で行われていました。

現在の運動会は、体力向上と協力(協調性)を重点として開催されることがほとんどです。学校教育の中の大きな行事の一つである運動会は、戦闘訓練だった時代の流れとは違い、共にチームワークを築き合い、あるいは親睦を深め合う行事となっていきました。

今年度の本校の運動会テーマは「ゴールの先の笑顔を信じて頑張ろう」です。ゴールテープを切る喜びもあるでしょう。順位がどうであれ、頑張ったという達成感の「ゴール」もあるでしょう。演奏やダンスをやり切ったという喜びの「ゴール」もあるでしょう。また、応援している人たちが、どの競技でもどの演奏・演技でも、「ゴール」した子どもたちを見てその頑張りを喜ぶ笑顔もあるでしょう。

運動会前からその様子が想像できるテーマが選ばれたことを、私自身も嬉しく笑顔になります。

運動会で一位を取ったり、成功したり、うまくいったら、我が子はもちろん、お友達にも笑顔で褒めてあげると思います。一位じゃなかったとしても、うまくいかないことがあっても、「頑張ったね」「思い出がたくさんできてよかったね」と笑顔で励ましてあげてください。

「見よ、兄弟が和合して共におるのは、いかに麗しく楽しいことであろう。」

(口語訳聖書・詩篇133篇1節)

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

校長 小原義信

 

校長先生からのメッセージ(4月7日)

2022/04/12

校長室

「新年度へのチャレンジ」

4月に入り、学校の周辺の桜が満開となり、今週は、花びらが美しくひらひらと散っていく様子に変わっています。この時期にしか味わうことができない景色を楽しんでおりました。また、その様子は、進級する児童、そして新入生を祝い歓迎しているようにも感じ、いつしか登校してくる児童を想像しながら学校の玄関前から桜を眺めているときもありました。

春休みはいかがお過ごしでしたでしょうか。コロナの感染がいまだに収まらない状況ですので、様々な気遣いもあった春休みであったかと思います。

さて、皆様にはいつも三育小学校の教育活動にご理解とご支援をいただき、ありがとうございます。皆様のご協力と神様のお導きのうちに、本日新年度をスタートすることができましたことを重ねて感謝いたします。

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。保護者をはじめご家族の皆様方にも心からお祝い申し上げます。また、在校生の皆さんもそれぞれ一つ上の学年に進級し、新たな気持ちを持って新学期を迎えたことでしょう。三育小学校の児童一人ひとりが、今年度もそれぞれの可能性に向かって力強くチャレンジし、様々な学習活動を通して心身ともに調和のとれた発達を成し遂げていくことを期待しております。

ずっと前のことですが、東京に住んでいた頃にこんな場面を見ることがありました。

混んでいる地下鉄で、ある男性客が座れずに立っていると、一人の老婦人が乗り込んでくる姿に気がつきました。弱々しく立っている姿を気の毒に思ったのですが、譲る席はありませんでした。しかし、この老婦人の近くの座席に一人の少年が座っているのが見えました。少年は、まだ老婦人には気づいていません。しばらくして立っている男性と少年の目が合いました。そのとき、即座に男性は少年にニッコリとほほ笑みかけ、老婦人と少年を交互に小さく指をさし、指先をくるくる回しました。すると、少年は何のサインかすぐに気づきサッと立ちあがり照れくさそうに席を譲りました。男性、老婦人、少年の顔には笑顔がありました。こんな小さなサインに反応したことが、三つの大きな喜びにつながったのです。

三育小学校が、このような小さなサインに反応できるような少年少女で溢れる学校であるようにと願っています。

今年度も本校の校訓のもと、「イエス様のように・What Would Jesus Do?」という目標で教育活動を進めてまいりたいと思っています。

私たち一人ひとりは神様に愛されている存在です。神様によって愛され生かされている自分自身に気づくことで、周りを愛することもできるのです。小さなサインに気づくとは、愛する行為を実践できる姿ではないでしょうか。このことを教師も児童も聖書の教えを通して自覚しながら、教育活動に取り組んでいきたいと思います。

新入生にとっても、在校生にとっても新年度が素晴らしい一年となりますようにと願っています。ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。

校長 小原 義信

校長先生からのメッセージ(卒業生への言葉)

2022/03/23

卒業生

6年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

威風堂々で入場してくる皆さんの姿を見ながら、6年前、どんな姿で、どんな背丈で、どんな顔で、その当時の6年生に導かれながら入場してきたのかと想像していました。違う小学校で入学した人もその学校の大きな講堂に入場したかと思います。その時のことは覚えていますか?

114㎝、これは皆さんの入学当時1年生のときの平均身長です。ちょうど私のお腹くらいの高さです。今はどうでしょう。平均身長144㎝。既に150㎝を超えている人もいますね。30㎝の成長です。もちろん背丈だけでなく心も成長しました。知的にも精神的にも成長しました。

私は、皆さんとは一年間だけの関わりでしたが、この一年間でも変化している姿、成長していく姿、6年生らしい姿を横から見ていました。とても頼もしく思っていました。

 今日を最後に皆さんの姿を見ることができなくなることはとても寂しいことです。私にとっては、たった一年でもそんな気持ちになるのですから、皆さんは6年間過ごした学校、一緒に過ごしてきた先生方やお友だちとお別れすることは、本当に寂しいのではないかと思います。でも、皆さんは新しい一歩を踏み出さなければなりません。新しいステージに立たなければなりません。

世界の状況が日に日に変わっている時代に私たちは生きています。ウクライナの状況も、報道を見るたびに心が痛みます。世界の平和をどのように実現していくか、皆さんが一歩踏み出したあと、それが大きなテーマであり、あるいは一生をかけての宿題なのかもしれません。

平和を実現するためには、神様が私たちを愛してくださっていることをいつも確認していくことです。それは皆さん一人一人が三育で学んできたことです。卒業祈祷週の話の中にも、それが表れていましたね。

皆さんが選んだモットーの聖句も、正にそのことです。神様に重んじられている自分自身を大切にし、身近な人を思いやり、愛し合うこと。私たちの身近な平和が、世界の平和につながっていくはずです。あなたのいる場所で平和を実現し、平和を築いていってください。

「私から学んだこと、受けたこと、私について聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなた方と共におられます。」フィリピの信徒への手紙4章9節

この聖書の言葉を私から皆さんに花向けの言葉として贈ります。

 保護者の皆さま、お子様のご卒業おめでとうございます。また、6年間の長きに渡り、三育小学校をお支え下さり、学校の教育活動にご理解とご協力をいただきましたことを心より感謝いたします。皆様と一緒に大切なお子様の成長を喜び確認しあうことができましたことを嬉しく思っております。皆様にお会いできなくなることも寂しいですが、是非これからも時には学校へ足をお運びください。歓迎いたします。

 教室で静かにテレビ画面を視聴しながら卒業式に参加している在校生の皆さん。一緒に参加して一緒にお祝いしてくれてありがとう。大好きな、大切な6年生が卒業していくのはさびしいですね。でも、6年生から受けたこと、優しくしてもらったこと、素晴らしい伝統、6年生の姿を、在校生の皆さんがしっかり受け継いで、4月から新しい学校を築いていきましょう。

 今日までこの6年生、この卒業生と関わってくださり、お支え下さった全ての皆さまに感謝いたします。そして今日まで守り導いてくださった神様に感謝します。

皆様のご健康とご多幸、祝福をお祈りし、また世界の平和をお祈りし、卒業生への言葉といたします。

2022年3月13日

横浜三育小学校校長 小原義信

 

校長先生からのメッセージ(2月)

2022/01/31

校長室

『改めて「ありがとう」の効力』

iPS細胞の研究開発でノーベル賞を受賞された山中伸弥さんと、脳科学者で小児科医の成田奈緒子さんが対談している内容の本『子育てを語る』を手にしました。お二人は同じ大学の医学部で同級生として学び、研究室も同じだったとか。現在、それぞれ別々の医学の道で第一人者としてご活躍です。

本の中に「親に本音を言えない子どもが山のようにいる」という一節がありました。確かにそうだったかなと、自分の子ども時代や、我が子の小学生時代を振り返ると思い当たることもあります。

親に喜ばれたい、というのは子どもの本能です。自分の居場所を確保しておきたいという安心感を無意識に求めるのも子どもです。そして、その安心する居場所を失いたくないと思うのです。時には背伸びをしたり、いい格好をしたり、あるいは噓をついてでも、喜ばれるため、居場所や安心を確保するため、子どもは動きます。

やっぱり子どもがいちばん認めてほしいのは、親なのです。皮肉にもそれが「親に本音を言えない」ことになっているのではないかと成田奈緒子さんは述べています。

以前勤めていた学校で、児童(仮称AさんBさん)のトラブルに出くわしたことがありました。AさんはBさんがやっていることや持っている力をうらやましく思い、BさんはAさんから嫌われているのではないかと思っていました。その裏返しにお互い過激な言葉や強い口調が出てしまったり、相手についての情報やうわさを誇張する発信源になったりしていたのです。どちらも相手よりも弱いと思っているから、あるいは相手に対して劣等感を持っているからだったのでしょうか。本当は遊びたい、一緒にいたいという本音を心の奥にしまい込んでいるように見えました。その気持ちは後から気づくことになるのですが。

いろいろなやり取りがしばらく続き、あることがきっかけで二人はお互いに気づいたことがありました。AさんはBさんを尊敬しているということ、BさんがAさんに嫌われたくないということは、本当は好きなのかも、と。 それから二人は仲良しという言葉以上に信頼し合い、彼女たちの周囲にもそれが伝わり、いい雰囲気となっていきました。

あることがきっかけとは、「ありがとう」の言葉でした。作業のあとの片付けをしたときの何気ない「ありがとう」が、しまい込んでいた本音を呼び覚まし、お互いの尊敬や好感へつながっていったのだと思います。

前出の成田奈緒子さんは「ありがとうがよく聞かれるコミュニティは、自己肯定感が高い人が多い。」「ありがとうは、自分の存在価値を確認している。自己承認を得ている。」と述べています。

「ありがとう」は魔法の言葉とよく言われます。もう一度当たり前に使っている「ありがとう」の効力をためしてみましょう。「親に本音を言える子どもが山のようになる」のではないでしょうか。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 テサロニケの信徒への手紙一 5章 16~18節

ご家庭の上に神様の祝福が豊か在りますようにお祈りいたします。

校長 小原義信

   

    

校長先生からのメッセージ(1月)

2022/01/11

校長室

天につかえ、天に宝を積む

 新年明けましておめでとうございます。皆様はどのようなお正月を迎えましたでしょうか。皆様にとって幸せな一年となりますようお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願いいたします。寒さはまだ続きます。どうかご自愛ください。

 年末年始、世界中の新型コロナ感染状況や、事件・事故、政治や経済の不安定さ、混沌とした状況などのニュースが相も変わらず流れていました。

 昨年、NHK大河ドラマ「青天を衝け」をご覧になった方もおられるかと思います。新一万円札の図柄に渋澤栄一が選ばれたということもあって話題となりました。大河ファンの私もドラマを楽しんだ一人です。幕末から明治へ、時代の混乱と大渦に翻弄された世の中にあって多くの歴史に残る志士たちは、新しい時代を拓くために熱く活躍しました。志士たちは様々な学問を通して、あるいは彼ら自身が尊敬する偉人たちを通して影響を受け、それらを実現すべく厳しい現状を切り開き、当時からは遠い将来(現代)にも影響するような数々の文明や文化を築いていきました。

 渋澤栄一は、ドラマにも登場する儒学者や論語にも影響を受けました。後に論語に関する書物をたくさん執筆しています。そこには経済や政治、文化的な背景に、道徳的な思想も多く含まれています。

 江戸時代に佐藤一斎という儒学者がおり、人が人間らしく生きるために考え付いたことを「言志四録」という書物にまとめました。佐藤一斎の弟子として教えを受け継ぎ、後に明治維新において日本を動かした志士たちにこの教えを説いたのが佐久間象山という思想家です。象山の塾(学校)で吉田松陰や勝海舟、坂本竜馬などが学び、西郷隆盛も影響を受け、渋澤栄一の手元には「言志四録」がいつもあったという説もあります。

「言志四録」の一節です。

「凡そ事を作すには、須らく天に事うるの心有るを要すべし」(およそことをなすには、すべからくてんにつかうるのこころあるをようすべし)

 旧約聖書の中に「預言者の学校」というものが出てきます。預言者は神の知恵を求めます。神につながり神の知恵を持っている者は、どんなに危機的な状態、不安な状態であっても、揺らぐことなくぶれることなく毅然として立ち進んでいきます。聖書の預言者たちは、繁栄のときや裕福なとき、あるいは平穏で安心なときには、これでよいのかと常に警鐘を鳴らしていきます。イエス・キリストは、弟子たちに大切な言葉をたくさん残しました。弟子たちはそれらを聖書に残しました。それは、今を生きる私たちにとって励みであり、救いであり、必要な言葉です。

 明治維新の志士たちの多くは聖書にも精通していました。外国に視察に行ったり留学したりする中で西欧文化や思想にもつながる聖書に出会うことがありました。道徳的な思想も多く含む「言志四録」や儒学を学んできた彼らにとって、人の生きる道を示した聖書の教えを受け入れるのは、それほど難しいことではなかったと想像できます。

 聖書にも次のような言葉があります。

「天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。」マタイ6章20,21節

三育で学んだ一人一人が、天につかえ、天に宝を積み、天を受け継ぐ者となっていってほしいと願っています。

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

校長 小原義信

校長先生からのメッセージ(11月)

2021/11/30

校長室

『クリスマスは一方的な神様の愛から』

 ちまたはではクリスマスのイルミネーションや様々な飾りが、街の通りや商業施設などを彩っています。日毎に寒さが強まる季節ですが、目に入ってくる景色が心を温かくし、なんとなくワクワクするのもこの季節です。

三育小学校の玄関ホールにも例年のようにクリスマスツリーがおかれています。飾りつけのために保護者会の役員の皆様がご奉仕してくださいました。感謝いたします。

 昨年の11月中旬頃、新型コロナウイルスの感染が拡大し、外出が厳しく制限されているイタリアで、5歳の男の子が当時の首相だったコンテ氏に、クリスマスに向けてサンタクロースに特別な移動許可証の発行をお願いする手紙を書き、心温まるエピソードとして日本の各メディアでも報道されました。

男の子は、首相に「サンタさんが世界中の子どもたちにプレゼントを届けられるよう、特別な許可証を作ってもらえませんか。サンタさんは、高齢で家に入るのは危険ですが、自分を守るためにマスクをするはずです。」とお願いしました。

これに首相は、「サンタさんはすでに国際的な移動許可証を持っています。どこへでも飛んで行って、世界中の子どもたちにプレゼントを配ることができます。マスクもするし、出会う人たちと自分を守るため、きちんと距離をとることでしょう。」と回答しました。この男の子の手紙と、粋な回答を出した首相の対応に、イタリア全土にとどまらず世界中から、「思いやりをありがとう」「サンタのことも気遣えるんだ」など、ネット上で多くのコメントが寄せられ、話題となりました。

今年も世界中で例年通りのクリスマスとはいかないでしょう。しかし、コロナ禍でも可能なクリスマスの過ごし方を多くの人々が模索し、楽しもうとしています。三育小学校では、今年もクリスマスの音楽や、オペレッタ、劇の練習の声が響き渡ります。本番前からこちらもそれに癒され励まされます。今年のクリスマス会はオンラインライブ配信となりますが、今からとても楽しみにしています。

クリスマスは一年中でだれもが楽しみなシーズンです。なぜなら、自分がしたいことや、してもらいたいことがたくさん募っていくからです。多くの人々から歓迎され喜ばれるのがクリスマスです。

しかし、そもそもクリスマス物語の起源であるイエス様の誕生は、歓迎したり楽しみにしたりといったムードはほとんどなく、ごくわずかな人しか知ることがありませんでした。むしろそれを反対する勢力もありました。イエス様の存在を無くすために2歳以下の男の子を皆殺しにするという命令もあったほどです。

イエス様の誕生は、人類を救いたい、平和を与えたい、という一方的な神様の愛から始まったものです。それを知った野原の羊飼いや東の国の学者たちは、そのことを感謝したい、祝いたい、礼拝したいと、乳飲み子イエス様のもとに集まってきたのです。(クリスマス=Christ「キリスト」+mas「礼拝」)

今年もたくさんの人と集まって祝うことができないクリスマス。ご家庭でも規模を縮小したクリスマスになるかもしれません。その分、もう一度クリスマスの原点にかえり、一方的に人類を愛しておられる神様への感謝を数え、あるいは身近な家族、知人、友人、またこの御時世なかなか会えない人へ、感謝を伝えるクリスマスにしてはいかがでしょうか。

イタリアの男の子がサンタを思いやることができたように、自分が毎年クリスマスに願ったり思ったりしていることに、少しだけプラスして想うことは何かないでしょうか。

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた。」 テモテ一1章15節

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」 ヨハネ13章34節

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。

校長 小原義信

校長先生からのメッセージ(10月)

2021/10/29

校長室

『大人の後ろ姿』

コロナの感染が落ち着いている様子が毎日報道されています。しかし、一気にすべてが解除されたり元の活動に戻したりというわけにはいきませんし、これまでの感染対策(手洗い、消毒、マスク、換気、密を避ける)は続けられていきます。

学校では、昨年から色々な行事やイベントを中止または変更してきましたが、現在の感染状況が落ち着いている時期に、校外学習や体験学習、見学など、感染対策を講じながら慎重に取り組んでいます。コロナの感染はまだ収束(終息)宣言されたわけではありません。しかし、できる範囲で、子どもたちにとって今しかできない経験を工夫しながら進めたいと考えています。

子どもたちは、行事を通して成長したり、準備する教師や親の姿を見て(大人の背中を見て)学んだり育っていくことも学校教育において大切な一面です。学校での保護者の活動も限られています (学校として活動の縮小をお願いしています) が、時々、少人数であってもご奉仕してくださる保護者の姿に子どもたちは感謝と尊敬の念を抱いているのも確かです。

ある本に登場する母親が、神学の教師でありカウンセラーである牧師に「どのように子どもを訓練し、しつけたらいいでしょうか?」と尋ねました。

すると牧師は次のように答えました。「『あなた』という模範が子どもを教えるでしょう。つまり、あなたの友人との会話、従事している仕事の様子、あなたが示す好き嫌いが彼を育てるのです。・・・・そのような傾向が子どもを形づくり生涯のあり方へとつながるのです。」参考:ジョン・ドレッシャー著『子どもに信仰を伝える』

別の例です。

「○○しないと△△してあげない」というしつけばかりだと、子どももそのようになっていくかもしれません。親は子どもに勉強させたい、良い子でいてほしいと思って言っているつもりが、子どもは「△△してあげない」といった罰や脅しの方を身につけてしまうのです。時々、「○〇しないと、遊んであげない。〇〇してくれないから、遊ばない。」という会話が子どもから聞こえてきます。

また、忘れ物をして本人が困ったらきっと忘れ物が直るだろうと放っておかれた子どもは、忘れ物を直すことより「自業自得型」の考え方で人を見、更には他人のせいにする考え方に至る可能性もあるのです。「親(大人)の言うことは聞かなくても、することは真似る」ということのようです。参考:「サインズ・オブ・ザ・タイムス」2016年11月号より

子ども時代に持った美しい記憶が将来の大きな力となることでしょう。先日1,2年生が芋ほり体験をしました。その姿を見ていて、私自身が子供時代に経験した赤紫の物体を地中から見つけ出した感動や、土を掻きわけ芋を掘り出すのに夢中になった思い出がよみがえりました。

あの時感動した、励まされた、勇気づけられた、憧れた、真似したいと思った・・・・、子どもの記憶が、輝かしい新しい夢へあるいは次のステージへと繋げられるために、私たち大人はよき助言者として模範者として寄り添う存在でありたいものです。

「母親がわが子を忘れ、愛さなくなることがあるだろうか。たとえそんなことがあっても、わたしはあなたを忘れない。」(リビングバイブル イザヤ書49章15節)

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。      校長 小原義信

校長先生からのメッセージ(9月)

2021/09/30

校長室

『心のマスクを外し、スキンシップの代わりにやさしい言葉をかけあう』

コロナ禍の恐ろしさは、実際に感染してしまうことは勿論、感染者数が増えてコロナ治療の医療体制もコロナ以外の医療もひっ迫してしまったことです。また、企業や家庭の経済的な困窮、何より子どもの心身の健康や学びが脅かされたこと、等々、あらゆる方面に影響を及ぼしてきました。

そして恐ろしさの別の視点は、あまり普段は表に出てきにくい差別感情や責任転嫁と責任回避、分断などが、むき出しとなる場面が増えてしまったのもこのコロナ禍で見られたことです。新型コロナについてはいろいろ実証されていることがありますが、まだわかっていないこともあります。不安だからこそ、また「何が正しいか」という答えが見いだせないからこそ、差別や分断も起こりうることです。

恐怖と正義感は、時には他者への圧力行為になりかねないことを見せられました。(自分自身の中にもありはしないかと自問自答しています。)

感染者数が今後更に下がれば、少しずつ様々な制限が緩和するともいわれていますが、同時に「〇〇証明の提示・提出」といったことになれば、新たな差別や分断が起こりかねません。

学校の方向性や判断も、「何が正しいか」に翻弄され迷ってきたのも事実です。それによって児童や保護者の皆様にもご負担をおかけしておりますことに心が痛みます。

今年の夏、オリンピック・パラリンピックの開催についての賛否や意見が分かれましたが、個人的には私もテレビでの観戦を感動しながら楽しみました。日本国内の賛否をよそに、多くの外国人選手や関係者、外国人記者は、日本のおもてなしの姿、親切、ホスピタリティーに関心と感謝を寄せ、喜んでいる声や記事を見聞きしました。何事も平和的に丁寧な対応ができる日本の心を私も誇らしく思います。それらがもっと身近に互いににじみ出ることができればと思います(コロナ禍であっても)。

三育小学校は、児童がイエス様の姿を学び、イエス様のようになりたい、なってほしいと願っています。また、他者を思いやる豊かな心を育て、人のために何が正しいことであり何が間違いであるかを自ら判断し行動するための力を育みたいと願っています。

これは、聖書の教えに基づくものです。

「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」ルカによる福音書10章27節 (校訓も同じ意味です)

しかし、どんな姿でもどんな状況でも自分をあるいは他人を価値ある存在と認めること、無条件で自分も相手も受け入れること、すなわち愛することは容易なことではありません。

ある本の著者は次のように言っています。

「無条件の愛を行動で示す、それはゆるすことです。」

「憎むこと、恨むこと、恐れることは過去のことであり、私たちは今を生きている。ゆるすことがなければ未だに過去を生きていることに過ぎません。ゆるすことは過去の傷を消す消しゴムです。」

「ゆるせば思う存分愛することができます。犠牲者としてのふるまいをやめればゆるすことができます。」ジャラルド・ジャンボルスキー著「ゆるすということ」より

私たちは、人をあるいは物事を自分の測りではかります。その測りはゆるしと愛と喜びに満ちているか、あるいは憎しみと恨みと恐れに満ちているか、二つに一つです。「隣人を自分のように愛する」ことができるために、まず神様が私をゆるし愛し喜びを与えてくださることを憶えたいと思います。

9月に入ってからのコロナの新規感染者数は下がり、緊急事態宣言も解除されました。しかし、全てが楽観できるものではなく、決して気を緩めることはできません。次の波が来ることは政府や専門家も想定しています。程度の幅があるにしても、しばらくコロナ禍は続くでしょう。これからも感染予防はしっかり(マスク、手洗い・消毒、ディスタンス)保ちながら、一方ではお互いの心のマスクは外し、心の距離を縮め、スキンシップの代わりにやさしい言葉、感謝の言葉をかけあうことで、私たち自身が差別や分断にいたらないように心がけたいものです。

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。

校長 小原義信

 

書写と英語のハイブリット授業の様子

校長先生からのメッセージ(8月)

2021/09/02

TOPICS

「感染症の収束と、人々の希望のための祈り」

まず、横浜三育小学校の児童・保護者・関係者のために、新型コロナ感染症の爆発的な感染拡大の収束のために、使命感を持って対応に当たっておられる医療従事者のために、お祈りいたしましょう。

今は、このコロナ禍において国中、世界中が苦しみや悲しみ、不安の中にいます。お知り合いや身近に感染された方もいらっしゃるかもしれません。医療現場やコロナ対応の関係機関におられる方は、常に緊張感の中で働いておられることでしょう。当事者から離れている私たちは想像することしかできません。

あるいは、「我が家は大丈夫だろうか」と憂えることもあるかもしれません。答えの見出せない、長いトンネルにいるような感じとも言えます。

昨年の緊急事態宣言中、ラジオのニュースで聴いた話です。

緊急事態のためにお店を閉じなければならない居酒屋が、簡易子ども食堂を店頭に設け、お昼にお弁当を無料で子どもたちに配布することにしました。あるとき、何度か弁当をもらっていた低学年の小さな男の子が、店に来てビニール袋を店主に差し出しました。袋の中を見ると、余った野菜の切れ端、パックに残った肉などが、無造作に入っていました。家から持ってきたんだけど、お母さんに言わないで、と男の子。自分に何ができるか、精一杯考えて行動に出たのでしょう。あるいは考えるより先に行動したのかもしれません。

コロナ禍の中に、優しさや思いやり、助け合いがある様子があちらこちらから伝えられてきます。必死に生きようとする姿から誰かの命を尊ぶ姿を感じさせられます。少し前までは、だれもが変わらずふつうに暮らし、学校に通い、仕事をし、夢を持ち、社会生活を営んでいました。急に環境が変わり厳しい状況を強いられています。「がんばりましょう」とあちらこちらで語られていますが、もうすでに全ての人々は十分にがんばっています。がんばりすぎていると言ってもいいでしょう。

「がんばりましょう」は、人に対して言うことよりも自分自身へのメッセージでもあります。わたしたちに何ができるか。それは、本当に必要なもの価値あるものを探し求め、毎日の生活で、学校で、家庭で、それぞれの立場で、思いやりの心と希望を持って精一杯生きるということに尽きるのではないでしょうか。ビニール袋を差し出した男の子のように。

まだしばらく、児童にもご家庭にもご負担をおかけしますが、どうか無理をせず、少しでも楽しみを見つけながら、この時を過ごしていただきたいと思います。

「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」(ペトロの手紙一1章3~4節)

ご家庭の上に神様からの祝福が豊かにありますようお祈り致します。